梶原氏講座 2014年11月7日(金)午後2時~4時 上北台公民館
廻田谷ッ遺跡
10世紀前半の竪穴住居2棟 10世紀後半の竪穴住居1棟
段切り遺構
中世の武士が宅地造成のため行うが、廻田の場合10世紀後半
段切りを可能とする人物はそれなりの人、建物を建てられる財力のある人 ちょっとした土豪
荘園公領制
荘園公領制(しょうえんこうりょうせい)とは、日本の中世における、荘園と公領を土台とした、重層的土地支配構造のことである。歴史学者の網野善彦が提唱した。11世紀中後期から12世紀初期にかけて成立し、院政期を通じて発展し、鎌倉時代前後に最盛期を迎えた。その一方で、鎌倉時代には地頭による侵食を受け、室町時代には守護(守護大名)によって蚕食されるなど、武士の進出に伴って次第に解体への道を進み、戦国時代頃までにほぼ形骸化した。最終的には太閤検地で完全に消滅する。
なお、この項目においての荘園・公領とは、それぞれ荘園公領制の土台となった寄進地系荘園・国衙領を指すものとする。
律令時代は全国の土地は国衙領(公領・国の土地)でした。
しかし私領である荘園ができ土地の支配は私領と国衙領の2つとなりました。
この土地の支配体系のことを荘園公領制と呼びます。